「関係性について」について

西沢さんの「続・建築について話してみよう」を読んだ。

西沢さんらしい語り口でとても深い内容なのに大変わかりやすく、感銘を受けている。

その中の一つの章に「関係性について」という章がある。

この文章の中の冒頭で

「なぜ開くかと言うと、関係性をつくるためである。関係というものは断ち切るとそれ以上のことは起こらない。しかし関係をつなげると、それをきっかけとして、いろいろな創造的展開というものが起こる」

という文章がある。

このあとにたとえで外と内や場所と場所の関係などを上げてもいっている。

ここで気付いたことは「つなげる」ということは「違いがある」ものが前提だということ。

だから同じものがずっとつづくような均質な状態ではそれが成立しないと思う。

しかしそんな均質な状態は絶対につくることができない。
環境を否定することは建築をつくる上では不可能だからだ。

では均質な状態を描いた人々はどういうことを考えていたのか、と思いを巡らせてみる。
たとえばスーパースタジオが描いたインディアンのための住居。
ずっとグリッドの平面が続き遠くに山脈が見える絵。
これは多分場を均質にする、ということよりも人と人との関係を抽出しているのだと思う。
だからこそ生々しさが生まれていて野性的でリアルに感じている。

他にも豊島美術館も非常に抽象で、ある意味均質だ。
しかし、下との水滴をみると人が感じれないほどの起伏によって、その環境の小さな違いがはっきりと見て取れる。

僕はやみくもに「均質」を表現する、というよりも、ものを整理し抽象化した中での微妙な差異をあぶり出す、ということをやっていきたいと考えている。
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# by hama_boy | 2012-02-09 01:11  

すてきなひとについて

今、とある音響屋の女性の方と一緒に仕事をしている。

とっても有名な方で、名実共に世界トップクラスの方である。

身近に例えるならば、音響界の妹島さん、といった感じ。

その方の言葉を聞いていると非常に元気が湧いてくる。
音について話すとき「柔らかい」、だとか「優しい」、というような形容詞をつかって見えない音に対して、イメージの輪郭を与えてくれるからだ。

そして何より、音の話をしているときに非常に楽しそうである。
少女が夢中になった絵本について話しているように、純粋な気持ちで音に対して向き合っている。

ああいう心から自分の仕事について楽しんでいる人は周りを愉快にする。
それはきっとその人なりの価値観が言葉や振る舞いに現れて僕たちに彼女自身の文化を体験させてくれるからに違いない。

まずは自分が一番楽しんでやれ、といつも背中を押される訳です。

ちゃんちゃん
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# by hama_boy | 2012-02-08 00:48  

セルガスカーノの建築を画像でみて思うこと

セルガスカーノという建築家がスペインにいる。
彼らの建築の良さを一言で表すならば

「瑞々しさ」

に尽きる。
これは僕が今まで建築に抱いたことのない感情であり、とても新鮮である。

始めて彼らの作品を意識したのは

森の中のオフィスという作品。
http://www.dezeen.com/2009/06/11/office-in-the-woods-by-selgascano/#more-32292

dezeenのアーカイブでちらっとだけ出ていた曲面ガラスの断面的な利用している写真を見て、
普段なら見ないこの手の建築の画像をずっと見続けてしまった。

この建築もオフィスが森の中に半地下で埋まるという、ものすごくわかりやすいストーリーがある。
しかし曲面ガラスの断面的な利用や配色センスは今までのミニマルな、あるいは日本の現代建築的な森との向き合い方しか知らない僕にとって強烈なインパクトだった。

よく半地下の案はコンペやいろいろな日本の建築家が行う作業であるが、どれもその質感の根源は似ている。

どちらかというと森との境界を無くしていき空間的に一体的に扱うような価値観である。
でもセルガスカーノのこのオフィスは森、ということを本当にインテリアの一部として扱っている。
あるい森の中の個のオフィスの存在を森のランドスケープの一つのモノとして扱っている。
こういう所に僕は惹かれている。


カルタヘナのホールにもとても感動している。
http://www.iwan.com/photo_Auditorio_El-B_Selgas_Cano_Cartagena_Spain.php

日本人が出来ない瑞々しさがある。
素材の選び方や留め方、構造に至るまですべてがただ軽快、というわけでない。
ただ軽快、というだけならLacaton&Vasselもすごいが、その軽快さとは少し違う。

こういったモノの使い方商業建築を思い起こさせる。
でもなぜか微妙に違っていて「ハズして」いない。
建築のオーセンティックな部分とリンクしている感じがする。

彼らのもたらす余白のつくり方や都市との向き合い方も非常に独特だし、
これは後世にも伝えなきゃならない価値観だと強く僕は思っている。

この目で見に行けたら良いな。

ちゃんちゃん
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# by hama_boy | 2012-02-05 14:13  

3.11後の建築についておもうこと

仕事を始めてもうすぐ一年になる。
その仕事は公共の大きな仕事。

一年の間に公共建築とは何か、という疑問をずっと抱き続けている。

そしてこの一年で3.11の後に出て来たすごく若い同年代の人たちの活動を見ていて、一体公共建築とは何なのかがますますわからなくなっていた。

ただ一つ整理できたことがある。

「公共建築をつくるときの建築家としての心意気」

である。

僕はまちづくり系のある種アートディレクター的動きをする人たちを尊敬している。

コミュニティデザイナーの山崎亮さんも佐藤可士和さんも、ああいうみんなの前ですぐにアイディアを出してまとめていく人々をすごいと思う。

建築家もああいうスタイルで仕事に取り組む人たちが出て来ているのもわかるし、自分もいろんな人を巻き込んで行司をとって、建築をつくるというイベントでまちを、ひとを盛り上げていきたい、と素直に僕も思います。自分の性格的にもそれが向いていると思うんです。

しかし、それだけではだめなんです。

建築家はやはりその建築のすばらしさを未来にも伝えなきゃならない、と思う。

だからやっぱり今僕の目を通して美しいと思える建築、風景を作り出す、見いだすべきなのである。

3.11後の建築と向き合うスタイルは変わった。
とてもささやかでワークショップ的なものを建築と呼ぶ人たちがたくさんいてる。
でも僕にはそこに超越性を感じない。
建築ってのは素朴であろうとも、豪華絢爛であろうとも、
ささやかなものでなくて、たいそう大げさで、時代を超えていく超越性があるもんだ。
人の生きる道をつくってくものなんだ。

だから大きなことをして今の自分たちの想像を超えて未来に残る美しさ、素晴らしさをつくりたい。

そのために行司をとるし、みんなで盛り上がりたい。

ワールドカップの日本みたいなあんな連帯感をまちでつくりたいなって思ってます。
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# by hama_boy | 2012-02-04 00:12  

納得した言葉

無意識のときに思いついたものが良くも悪くも自分が出ている。倉俣史朗
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# by hama_boy | 2011-04-04 02:17