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現在の建築界に絶大な影響を与えた人の話を聞いたこんばんわ

原広司特別講義『CUBE&HOLES』in 大阪芸術大学 2010

※僕は大阪芸術大学の関係者ではないです。

最近はうねうねとした曲線の建築やそのプロジェクトが様々なメディアを通して国内外問わず発信されている。その出来事を原広司は新しい幾何学に漸く現代の建築家たちが目を向けだしたんだという。原さんが話された幾何学との向き合い方は近代までに作り出されてきた僕たちの持っていた建築観を大きく揺らがし、一変させた。
今日の講演は昨年の暮れに出版した『YET』の概念の中から「CUBE&HOLES」を取り出し、講演を行った。その中で分けると3つの軸がある。

・一秒ごとに秋の風景が変わっていくように建築もかわっていくこと
・現代「幾何学」に対して注意を払うこと
・「孔」というテーマにおいて原広司の作品を振り返ってみること

である。

『機能から様相へ』という本のタイトルは建築を勉強している方なら一度は聞いたことがあるであろう。この様相という言葉を簡単に言うと、世界はほんのわずかの短い時間に刻々と変わっていっている。例えば秋の風景が一秒ごとに変わっていっているように。建築も様相として捉えてつくっていきたい、と原さんは語るのである。

次に、「芸術と建築は”ロジカルかつマジカル”でないといけない」というようなダジャレとも言えないついつい口にしたくなる韻を踏んだ言葉を彼は言う。
感覚的につくると「マジカルかつマジカル」となってしまうし、論理的につくってしまうと「ロジカルかつロジカル」となってしまう。そのどちらも本物ではない。

「ロジカルかつマジカル」につくるためには現代幾何学を理解する必要があるらしい。現代幾何学とは紀元前のエウクレイデスのユークリッド幾何学以後のポワンカレやライプニッツなどの幾何学を言うそうだ。(後に非線形科学の話をされており、芸大生相手ということも会ってかなるべく数学の話をしていなかったので混同して僕は捉えてしまった。)

この「現代幾何学を理解すること」は聞いているだけでも頭が痛い。しかし続けて彼は「完全に」ではなく「直感的に」理解すればよいと付け加える。そんな例として、現代の日本を代表する建築家の伊東豊雄や妹島和世などが挙っている。されにこの感覚がなければ国際コンペにも勝てないと断言していた。


最後に、今までの自分の作品を見ながら「孔=トーラス」について語っていく。
このトーラスというのは一つの球体Sに孔が一つだけあいたドーナッツのようなものをいう。そこに孔が増えていくとΣ2、Σ3…と数が増えていくた交代となっていく。トーラスというのは表面上は境界が無い。だから一枚の板にたくさんの孔があいているのはトーラスとは言わないらしい。

このように過去の原さんの建築作品を見ていくと
「extra-terrestrical architecture」
「梅田スカイビル」
「原邸」
「京都駅」
「宮城県立図書館」
などは一見、小さな孔が無数には開いているけれども、大きな孔が一つとして見なせるトーラスなものとして説明していた。
「一見トーラスに見えないのも新しい幾何学かもね」っと軽く話していたことも気になったけれど、上記の建築ではトーラスにその建築の中で最も出来事が変容する場として扱われている。
例えば宮城県立図書館や京都駅。
なにかイベントがあるとまるで雲のように人がバァーと広がり、その場所の普段持っている穏やかな人がぽつぽつと点在する風景とは別のモード(様相)になっている。トーラスこそが建築の空間構造に影響を与えて、様相を変容させる力があるというのだ。


僕は京都駅を幾度か訪れたことがある。それも建築の勉強を始める前、高校生だった頃だ。この駅ビルの大きな階段で友人6人と座りながらだらだらと時間を過ごしていた。その視線の先を行き交う群衆をみてこの人たちはなにか大きな力によって動かされているんじゃないかとふと感じた。ただの頭の悪い猿のような高校生でさえ、この建築が持っている怪しい妖気を感じ取らざるを得なかったのだ。色に夢中な男子高校生の友人の一人が女性に声を掛けはじめた。しかし残る五人は一向に動こうとしない。女性に相手にされず帰ってきた友人も座り込み、一緒にただ呆然と時間が過ぎるのを眺めていたのである。ふとそんなことを思い出した。


この講演会で気になったのは「数理的(mathematical)」と「論理的(logical)」の違いについてである。この二つは僕は一緒にしてはいけないものだと思う。なぜ数学的な抽象モデルを扱うことによってロジカルなものができるのだろうかが非常に不思議に思っているのは僕だけなのかな。

「2+2=2×2」

という数式にはなにか独特の美しさがあると数学者が言う。その感じを直感的にだけれど非常に僕も美しいと感じている。しかし、前にこのことについてとある建築家になんでそう思うのと言われたときに答えれずに「論理的整合性」によってそう感じるのかと訪ねられ思わず「そうです。」と言ってしまった。ただ、まだ反論はできないけれども僕はこの式に「数理的整合性」によって美しさを見いだしているのだと思う。

例えば一番最初にだしたようなうねうねした建築計画は数理的な整合性を持っていはいるだろうけれども論理的かどうかは怪しい。辞書で調べると


ろん‐り【論理】
1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「―に飛躍がある」

2 事物の間にある法則的な連関。

3 「論理学」の略。


[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

であるが、現実の与条件無くして成立するうねうねは存在しないし、もしうねうねに与条件を反映できたとして、そこにあるのは論理的整合性なのだろうか。聞いてみたかったのだけれども僕は芸大生じゃないので質問することができなかった。数理的と論理的が自分の思い違いでほとんど同義語であってもそれあそれで発見なのであるので誰かしら教えてください。

ちゃんちゃん

by hama_boy | 2010-05-19 00:17  

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