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あたたかくなてきたなこんばんわ

『三四郎』のことで新しく気づいたことがある。
この小説の視点は三四郎だったということだ。

実際に俯瞰的な視点をとって語られているけれども読んでいくうちに三四郎の性格が客観的に物事を見ていると感じる。しかし女のこととなるとついつい焦ってしまい、美穪子や冒頭に出てきた婦人などの相手の心が見えずにたじろいでいるように描かれている。

僕は推測だがよし子が三四郎に思いを寄せているように感じる。それは文面の質感の中には出てこないし、確証はない。しかし美穪子が他の人と結婚してしまうことも美穪子がその気持ちに気づいているからの行動だったのではないだろうか。

そんなよし子の気持ちや美穪子の気持ちもつゆ知らず三四郎はただただ心が揺れ動いているばかりである。その心の揺れ具合を漱石は三四郎になりきり描いたのだろう。

音楽家の江村哲治は良い演奏者はその曲を描いた人になりきって演奏するという。二つの人生が重なることで初めて生まれる音楽があると。それを創造性と茂木健一郎は言う。
『三四郎』も漱石が書いている中で架空の三四郎と重ね合わせられていったのだろう。
文学の創造性にちょっとだけ触れた気がしてぼくはうれしくなった。

by hama_boy | 2010-02-27 15:44  

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