ひろ散歩 in 南河内こんばんわ

久々のひろ散歩です。

最近、関西付近の建築を週に一度は見るようにしている。


先週は神戸で、フランクロイドライトの『ヨドコウ迎賓館』とフランクOゲーリィの『FISH』を見た。それは本当にすばらしかった。特にヨドコウ迎賓館は。


ただまだうまく言語化ができていないのでもう少し煮詰めるとして、今日見てきたのは


出江寛『PONTE FICO』1996 大阪府羽曳野市古市


高橋 靗一『大阪芸術大学』1964-1986 大阪府南河内郡


安藤忠雄『近つ飛鳥博物館』1994 大阪府南河内郡


『富田林寺内町』


に行ってきた。見てきた感想を挙げていくと


『PONTE FICO』
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この建築の最大の良さは駐車場の配置である。
羽曳野市役所の方から入っていくと駐車場の後ろにセットバックしたでこぼこした建築が見える。このボイドがあるおかげでうまく建築の構成と一番見せたいであろう凹凸のある面が連続して奥行きをつくりだしているところが一瞬で理解される。
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入っていくと路地的な中庭や各住戸へアクセスする広い階段室と出会う。
ドコモが緑に隠れていて建築の接地面が見えず土地に生えているようだ。
裏に回るとさらに駐車場がある。これは正面にあった駐車場よりも広く、ここに各住戸のほとんどの車がおさめられそうだ。
やはり意図的に駐車場を建築との距離を置くボイドとして置いたのだなと確信した。

ただ僕はこの建築に込められた思想が見えなかった。
この中庭も階段室も「うまく」住民間の距離をとる調整弁に過ぎない。
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実際には各住戸にも中庭があり住戸面積もほぼ等しい。外に対しては結構閉じている。開けっぴろげろとも言わないけれどもこんな郊外に密度が中規模のものを立てるならばもっと開いた方がのびのびするんじゃないかな。

あとポストモダン的な意匠が気になる。うまく噛み砕けない建築である。


『大阪芸術大学』
これは1964年に設計競技で高橋てい一が勝ってから1986年まで行ったキャンパス計画。一人の建築家が大学のすべてを設計しているのは日本においては珍しいのでは?

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場所は大阪府南河内郡河南町東山469である。
みなさん当然聞いたことのある方は少ないだろう。
ここは山の中なのである。最寄りの駅すら田舎であり、さらにそこからバスで10分ぐらいというかなり不便な場所なのである。その分自然は豊かなのだが。

ふらふらと歩いていて気づいたのはキャンパスが地形によってゾーニングされていること。
ここで主軸になっているのは尾根道なのである。建築は本来の地形の高低差を利用し、さらに建築を立てることでレベルを増やしそれぞれのクラスターをつくっている。

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そのときのレベル差の違いを幾十にも重なる水平線でつないでいるのが面白い。
(藤本壮介のNハウスのような感覚なのかな)

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教室棟はコンクリートが自然の中の岩肌がごとく荒々しく仕上げられており、凸凹した各棟の形態はまるで集落ようである。カーンのポストモダンとは違った集落的な形態性ととライトの水平線の連続がうまく混ざり合い、古代の廃墟のような建築になっている。
ガラスがはめられていない窓枠がほとんどでそれも廃墟性の一因となっているのであろう。

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入ってすぐにある博物館・図書館の複合施設はなかに不整形のホールが存在している。
先ほどの地形のゾーニングを建築のホールに引き込んでいてトップライトの切れ込みはまるで深い谷にいるかような錯覚を思い起こさせる。

所見ではこの建築群は「環境の歴史性」を建築に引きこもうとしているのではないか?

周辺には古墳群があり、郊外ではあるんだけれどそんなに開発はされておらず、その貼付けられたペラペラの郊外という歴史よりも、もっと深い歴史を感じさせるそんな独特の場所である。
この周辺の環境が持っている古代に時が止まったかのような雰囲気を「環境の歴史性」と呼んでみたい。

だからこそ各建築が岩肌のような意匠や谷間を思わせる内部空間を持っているのであろう。
しかしそれは「環境の歴史性」を意匠として纏っているに過ぎない。
こんなにも重い建築に囲まれているのに不思議とペラペラな感じがしていた。

まるで現実から離れた芸術家の卵のユートピアに来ているようだった。


『近つ飛鳥博物館』
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安藤さんのコンクリートの美しさに圧倒された。

安藤さんのコンクリートにはコンクリートのほんのわずかな距離、寸法でいうと0.001mmぐらい上の所から空間がある。その空間がものすごく透明で光沢があり、安藤建築の抽象性を作り出しているのである。
今までも安藤さんの建築はいくらか見てきた。直島で、京都で、大阪で。
でも気づかなかった。
なんでこんな当たり前のことに今までは気づかなかったか本当に不思議だ。

この手前に見た大阪芸術大学もコンクリートを多用していた。
でももう種類が違う。
安藤さんのコンクリートはコンクリートであることをコンクリートがやめてしまっている。これは確かに斬新だし、今までの世界的な活躍が十分に納得できる。

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構成も面白かった。先ほどの大阪芸大をさらに山に入っていき本当にこんなところに博物館なんかあるのか疑わしくなってきたところにふと大きな直方体の遺跡が飛び込んでくる。近づくと見たことの無いくらい大きな階段に数個の直方体が建っている。
その階段は実は博物館の大屋根で中に入るとその斜めのラインをうまく利用して空間に抑揚をつけているのだ。

コンセプトは「現代の古墳」らしい。文字だけ見ると一見笑えるけど見てみると納得させられてしまう。古墳的モニュメンタリティを持ちつつ、それがうまく抽象化され建築言語に置き換えられている。だから建ってから16年経った今でも新しさを保持し続けている。コンクリートのほんの少し上にある空間はこのままもっと長くあの新しさは続せるのだろう。

『富田林寺内町』
この街に入るとふと背筋が伸びる。
なんでだろうと考えているうちに前から来る人を見て気がついた。

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軒が今まで見たことがある歴史的な街並を持つ街(京都、奈良、鎌倉、金沢など)と比べると500〜1000mmぐらい高いのである。

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あるところでは軒が高すぎて日よけの役割を果たしておらず、日よけとしての軒を増設しているところまであった。
それが凛とした表情を見せていてなぜだか背筋が伸びるようなのである。

ここはもともと川が近く、肥沃な土地で農業が盛んであって、その昔は大きな街だったそうな。寺内町というのは

寺内町(じないちょう、じないまち)とは、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落のこと。濠や土塁で囲まれるなど防御的性格を持ち、信者、商工業者などが集住した。

wikipediaより

だから「お膝元で暮らしている」という意識が薄くその分堂々と下街並になっていたのではないだろうか。
だから有力者の家々は軒が高いんだけれど中心である寺から離れるほど低い軒が目立つようになってくるのである。

あとこんなに大きな家にまだ人が住んでいることがびっくりした。
管理・維持するのは非常に難しいだろう。
多分この地域も推測だけれど高齢者が多い気がする。
観光地化もしていないこの場所をこれからどうやって守っていくのだろうか?
交通の便も不便だ。

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堂々とした軒先を見ながら、足下を見ると石畳が一部剥がされ、アスファルトが敷かれている。多分水洗管を通すための工事があって予算が無くアスファルトが用いられているのであろう。

資本主義、経済主義の中で辺境にある集落がどんどんとその魅力を失っていくという感覚を初めて実感した気がする。

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今回派大きな建築のコンセプトを体で実感したことが大きな収穫である。
横国的な思考をするときでも僕はものすごく小さなことしか捉えていなかった。

その建築、都市の何がドミナントな存在なのかをまず言う必要がある。
大阪芸大の地形のゾーニングは見事にミクロとマクロをつないでいた。
マクロを作り出すとき、あるいはミクロをマクロに接続させるときの思考方法をもっと多様に体感したいな。

ちゃんちゃん
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by hama_boy | 2010-05-09 14:37  

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