「かた」と呼ばれるものについて

大阪府の住宅供給公社の方と先日お話しさせていただく機会があり、その話がとても勉強になった。

内容は住宅における「型」と「形」の関係から見る住宅の近代化についての話。

その方は住宅というのは生活の型があり、それを空間化することで形が生まれていくものだと考えている。だから町家などの住居空間は前近代の社会では家長制度をもとにつくられるため、奥の間は父と長男が食事のときに使う空間となり、手前の間で母や次男、その他が食事をとるという生活の型が存在していて、それを空間化することで住居が生まれていると話していた。
そのヒエラルキーが戦後、51cに代表されるダイニングという考え方により、家族間のヒエラルキーをよりフラットにしていくことで生活の型が無くなってしまった。これが近代化ということだ、とその方はおっしゃっていた。

その話を聞いていて僕はものすごく違和感を感じていた。そのときにすぐに反論できなかった自分がとても悔しい。
その違和感とは
①生活における「型」の定義が住居内での人の振る舞いに限定して聞こえること
そもそも前近代の住宅においても外敵要因により空間形式が決まっていく面もあったはず。有名な話では住宅の間口の大きさで税の徴収する量を決めるというものことかたうなぎの寝床形式がうまれていったはずで、その過程で住居内に手前と奥という空間形式を人間が発見していったのではないのか?逆にその空間形式に家長制度を当てはめて行くことにより、前近代の都市部における生活の型が固定化していったのではないのか?

②51C等によるダイニングの表出が近代化とすれば、民家などの囲炉裡を囲んだ食事をする生活を経験している日本人がただ単にダイニングの表出をきっかけだけに近代化をしたとは思えないこと
僕が不勉強なもんで農家の生活はあまり勉強していないが日本昔話などのアニメなどをみるにおいて家長である父でも囲炉裡を囲んで食事をしている。近代化は様々な分野で分けてみるとその過程は異なる。日本の建築分野における近代化と文学における近代化等々多岐に渡り、生活という複合された総体がダイニングの出現という一事象だけでは近代化したとは語れない。

③生活の型が無くなるのではなく、変質し多様化したのではないかということ
士農工商などの制度でも明らかなように、非常に数の少ない生活の型へと国家が国民に強いていた。それが非常に簡単な住宅と税収の関係からのルールで住居空間のあり方を一元化させていた。だから前近代の都市部の生活では生活の型が一元化していたのではないか。それが近代化の過程で住居空間の選択性が生まれ、各地でそれぞれの住まい型が可能となり、多様化したのではないか。ということ。

僕はこの話をこう聞きか返したかった。
また会いにいって聞いてみよう。

この話を思い返して思うのは菊竹請訓の「か・かた・かたち」である。
ただこの論文を僕自身しっかりとよんだことが無い。でも現代的な言い方で「使うこと」と「つくること」と言い換えれるのではないかと思った。そして型という考えはプログラムという考えと似ているんじゃないかと思った。
実際に微妙なズレがある、そのズレの中に時代時代の価値観が違うのだなと思う。
ただどの考えにであっても形の前段階が非常に重要でそれと空間がリンクすることでその時代の建築がつくられるんだと感じた。「森山邸が与えた2005年での衝撃」と「山川山荘が与えた1970年の衝撃」はどちらも形の前段階との関わり無しには考えられないと僕は思う。
逆に空間をつくることがその形の前段階を社会に対して提示できるんだとも考えられ、やはり建築がもつ 社会に対しての影響力はとてつも無く大きいものなんだなぁ。
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by hama_boy | 2010-12-11 22:32  

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