外側から発見する型と内側から発見する型

宮脇檀は自分が泊まったすべてのホテルを寝る前に実際に測って記録していたらしい。
そして「ふむふむなかなか使いよい」などとつぶやいていたことが「宮脇檀の住宅設計」という本の中に書かれていた。
この本で宮脇氏が狭い寸法の扱いにきわめて優れた才能を発揮してことが書かれており、こういったホテルの実測が氏の中でのスケール感を養っていったのだろう。
実際にお会いしたことも話を聞いたこともない僕だけれども、宮脇氏の著作から自分の生活における実体験の中から寸法を導き出し、設計していったことは伺える。
その前述の本の中では吉村順三と並ぶ生活派の建築家と誰かが称していた。
個人的経験の中で自分の身の回りの寸法や振る舞いから型を導く思考は内側から発見する型と僕は呼んでいる。

逆に外側から発見する型もある。
現在の社会状況や周辺環境の読み取りの結果見えてくる生活の型のことである。
僕が思うに森山邸やこないだ見学させていただいたVANSという大阪の設計事務所が設計したつなねの集合住宅に感じた。住宅だけでなく豊島美術館にも同じような外側から発見する型を感じた。周辺環境との形態的連続性は前にも書いていたけどここでは形態の話だけではない外もある。アーティストとの普段建築家がかかわっていない領域とのコラボレーションも外側からの型といえよう。

でも森山邸には外側からの型だけでなく内側からの型も同様に感じられることが面白い。
内側からの型はあの大きな開口やまだ体験してないのでわからないが、庭に現れているように思う。

僕が思うに森山邸は二つのシステムが混じっているように感じていた。それが分棟配置と開口であり、それらは矛盾しているようにも見えるのだ。しかし、なぜか自然にそれらがお互いに干渉しあって共存しているように見えるのが不思議でたまらない。

僕にとって内側からの型と外側からの型は自分の心を切り裂いていく。
けれど論理的ではないのだけれどそれらが建築の豊かさにつながるのではないかとも思っている。
[PR]

by hama_boy | 2010-12-17 17:44  

<< 透明に憧れる精神と不透明に安心する心 僕自身が感動する建築について >>