透明に憧れる精神と不透明に安心する心

今年もあけましたね。
開けるのか開けないのかどうなんだろうと思っていましたが、やっぱりあけました。
本年もよろしくお願いします。

さて最近ふと思ったのだが、よくコンペの審査講評などで
「目に見えないものを視覚化することがおもしろい」
というフレーズを目にしていた。

このときに建築を透明なものに、抽象なものにしていこうという志と透明なものを可視化することは正反対ことだなと思った。
たとえば風の流れは目に見えない。けれどもそれは場所の違いを生む。
気温の違いもそう。

でも透明なものの可視化はそれを完全に不透明にして壁のようにしてしまうものではない、と僕は感じる。目には見えるけれども触れない、モノではない現象の実体をつかむような、エフェラルな感覚。そういうモノを目指しているように思う。

こうやって言葉にすると、虚の透明性やガラスに映り込んだ映像的な現象もそういうエフェラルな感じを目指しているようで、全く正反対な場所からとある一つの地点を探そうとしているのかな、とも思えてくる。

もしかしたら抽象の行き着く先はただ透明なのではなく、オーロラのようにたゆたう現象へと向かっているのかもなと思った初妄想。
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by hama_boy | 2011-01-03 11:29  

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