なぜ妹島和世に影響を受けている人たちは写真の彩度を落とすのか?

先週「美の巨人」というテレビ東京の番組を見てドラクロワの絵を見ていて思ったことである。

ドラクロワが残した絵画で現存している「アルジェの女」は現在では色が落ちて、彩度は低いが描かれた当初は彩度が強く原色が強く出ていたという。

これは補色効果が発見されるもっと前に色の本質を見抜いたドラクロワの鋭さであり、印象派はこの絵から始まったのかもしれない。

ここで前述の疑問である。

自分もよくこれを使う。
完全に白黒にする時だってある。
時間が凍結されたように見える。
いや逆に提案する風景が「自然(natural)」に見える。
もう長い間建っていてしばらく放置されたような感覚がする。

ただこれは僕の印象でしかないのだけれどなぜ妹島和世に影響を受けた人たちは彩度を落とすのであろうか?

その原因として

①ヨーロッパ的文脈を意識している(ヨーロッパの街並は彩度が低いから(実際現地に行ってないので未確認だが))

②ドラクロワの絵のように彩度が抜け落ちた写真に自然さ、歴史とのつながりを感じているから。

③自身が提案する建築を目立たせたいから

ぐらいかな。あんまし項目が思いつかないけれど僕としては②ではないかと思っている。
彩度を落とすのは写真であって建築ではない。だから建築を写真という媒介を使って理プレゼンテーションする際、その写真自体は実際とは違うイミテーションであってもその写真の中にある自然さが浮かび上がるような瞬間を僕たちは感じているのかもしれない。

ところでドラクロワが実際に訪れた地アルジェリアにあさってから行ってくる。そこでどんな色彩が見えるのか非常に楽しみだ。
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by hama_boy | 2011-01-29 18:08  

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