3.11後の建築についておもうこと

仕事を始めてもうすぐ一年になる。
その仕事は公共の大きな仕事。

一年の間に公共建築とは何か、という疑問をずっと抱き続けている。

そしてこの一年で3.11の後に出て来たすごく若い同年代の人たちの活動を見ていて、一体公共建築とは何なのかがますますわからなくなっていた。

ただ一つ整理できたことがある。

「公共建築をつくるときの建築家としての心意気」

である。

僕はまちづくり系のある種アートディレクター的動きをする人たちを尊敬している。

コミュニティデザイナーの山崎亮さんも佐藤可士和さんも、ああいうみんなの前ですぐにアイディアを出してまとめていく人々をすごいと思う。

建築家もああいうスタイルで仕事に取り組む人たちが出て来ているのもわかるし、自分もいろんな人を巻き込んで行司をとって、建築をつくるというイベントでまちを、ひとを盛り上げていきたい、と素直に僕も思います。自分の性格的にもそれが向いていると思うんです。

しかし、それだけではだめなんです。

建築家はやはりその建築のすばらしさを未来にも伝えなきゃならない、と思う。

だからやっぱり今僕の目を通して美しいと思える建築、風景を作り出す、見いだすべきなのである。

3.11後の建築と向き合うスタイルは変わった。
とてもささやかでワークショップ的なものを建築と呼ぶ人たちがたくさんいてる。
でも僕にはそこに超越性を感じない。
建築ってのは素朴であろうとも、豪華絢爛であろうとも、
ささやかなものでなくて、たいそう大げさで、時代を超えていく超越性があるもんだ。
人の生きる道をつくってくものなんだ。

だから大きなことをして今の自分たちの想像を超えて未来に残る美しさ、素晴らしさをつくりたい。

そのために行司をとるし、みんなで盛り上がりたい。

ワールドカップの日本みたいなあんな連帯感をまちでつくりたいなって思ってます。
[PR]

by hama_boy | 2012-02-04 00:12  

<< セルガスカーノの建築を画像でみ... 納得した言葉 >>