ことばについてかんがえることこんばんわ

最近先輩と、マイマザーに

「理屈をこねるな。もっと楽に生きろよ」

と言われた。

つまり「構えるな」ってこと。

「構えるな」ってことは「ふざけろ」のやさしい版に思えてきてそれなら俺できるかもって思った。



肩に入ってた力がスーと抜けて一気に楽になったな。




ちょっとバカにするくらいがちょうどいい。

ちゃんちゃん
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# by hama_boy | 2010-05-30 23:41  

ひろ散歩in東京こんばんわ

5/14~17に東京で見てきた建築のレポート。


『日比谷花壇』日比谷公園内、設計 乾久美子建築設計事務所

『ヒルサイドパレス』竹橋駅すぐ、設計 日建設計

『建築はどこにあるの?』東京都近代美術館、参加建築家 アトリエワン、中山英之、中村竜治、鈴木了二、内藤廣、菊地宏、伊東豊雄

『Y-GSA power plant』設計 モンブラン+suep+Y-GSA

『ヨコハマアパートメント』設計 西田司

『GA HOUSES PROJECT 2010』

『破滅*ラウンジ』


今回のひろ散歩in東京は3日間ともほがらかな天気で、とても気持ちよかった。
晴れてる日ってなんだか不思議な気がする。
公園にいてても、街を歩いていてもなんか自分の家のような感じがするんだよな。

それに比べて雨の日は自分の家の自分の部屋の穏やかさを味わえる。

って思うのは僕だけなんだろうけど(笑)


行ってきた建築の感想をそれぞれ書くと

『日比谷花壇』日比谷公園内、設計 乾久美子建築設計事務所
この建築はモノに対するマイノリティなイメージを見つけるということを僕たちにささやかに教えてくれる。
僕が気づいたことは3つ。

1つ目は、スケール。
全体のボリュームは公園の中の建築にしては大きすぎるし、ビルと比べると明らかに小さい。
そして開口。見ての通りとてつもなく大きいけれど朝早く行き過ぎてブラインドがかかっていたんだけれど、ものすごく大きなシャッターがしまっているよう。
消防設備でこんなのあったような気がする。

2つ目は、陰。
一目見ると、この建物にはなにか不自然とも言える違和感がある。

それは室内が暗いことだ。
朝から昼頃までいたので、その時間だけではわからないのかもしれないけれど、この建築だったらもっと光に満ちあふれていて、ほとんど外のように明るくてもいいはず。
それなのにそれほど明るくない。しかも昼間から照明を点けている。
だからこの大きな窓がガとてつもなく明るい額縁のように見えて内側にある風景はほとんど印象派の描いた絵のようになにか別の世界を見ているような不思議な感覚にさせられるのだ。
そして開口の上辺よりも天井が高いことによって生まれている天井四隅のやわらかな影。
光でぼかされて曲線のようになった隅からはマッシブな印象は全くなく、むしろ曲線を描いているのではないかと疑わせるほど。
こういう操作が重なり「額縁に飾られた印象派のような絵」みたく見えるのではないかな。


3つ目は、テクスチャー。
表面の石と(タイルという方が正確なのかな?)ガラスについて。
ガラスは当然反射する。
しかし見る角度に寄ってはその存在を一切感じさせないこともある。
この性質をうまく利用していて、道路から対岸にわたってみて見ると、ガラスの存在は全く気づかない。
しかし公園側から見てみると、ガラスは反射してそのマッシブなカタチが際立ち、周囲の建築と連続するかのようにも見える。

次に表面の石。
此れは光によって、素材感をあらわにするときと、ふっと消えてしまうときとがある。
だから目の前に立ち現れているテクスチャー無しの「面」と有りの「面」が同時に見えて、さらにスケール感がわからなくなる。
そして公園から見ると、後ろの建築(有名な劇場だったっけ?)とテクスチャーが重なって、なんだか遠近感までわかんなくなる。
とくに此れは少し曇ったときぐらいに見たときにそう思った。

『ヒルサイドパレス』竹橋駅すぐ、設計 日建設計
3度目の来訪で、訪れるたびになにか発見させてくれる。
今回はあの渋みのある1Fの雰囲気をつくりだしている要素の一つがわかった。

それは天井の照明だ。

一度天井面に当てて間接光にして和らげている。
でもこんなんようあるやんけと聞こえてきそうだけれど一番感心したのはその天井面にスパンドレルを貼っていること。

友達や先輩が実施のプロジェクトにおいて使っていて、たまぁ〜に街中で見かけるデッキプレートのようなモノ。
この素材はなかなか印象がキツい。
なんだかギスギスしていて、なかなかとっつきにくいやつだなぁと今まで思っていた。

でもヒルサイドパレスでは渋みの聞いた柔らかい印象がある。
この雰囲気はまさしく「おじいちゃん」のようだ。
「祖父」の方が正しいかもしれないな。

また行かれる方は是非注目してみてください。

『建築はどこにあるの?』東京都近代美術館、参加建築家 アトリエワン、中山英之、中村竜治、鈴木了二、内藤廣、菊地宏、伊東豊雄
これに関してはいろいろ変だなって思うところがある。
この後いろんな人たちとこの展示について話したけれども、行った人それぞれ感じるところが違っているし、それぞれが疑問を持っている。
これだけいろんな人が疑問を持って、その後話し合えるなんて幸せなことだなぁとつくづく思う。
だからこれは良い展示なんだよ。

僕は菊池さんと伊東さんの展示が一番気になった。
なぜこの二人なのかって?
それはこの展覧会に対するアプローチがこの中で一番対局な二人だったから。
菊地さんは場所も最後に決まって、コンペのようにさらっとその場に応じた回答を出していた。
伊東さんは場所は早くから決まっていたようで、現在、事務所で考えていることを今までの事務所のプロジェクトをベースに提示していた。

このふたつに僕の中で優劣は無いんだけれどもね、どちらにも考えさせられたし感動もした。

『Y-GSA power plant』設計 モンブラン+suep+Y-GSA
今までさんざん横目で見ていてお化けがでるんじゃないかとビビっていたこの建築。
改修されてこぎれいになったら物悲しい表情になっている。
小学生の夏休み、「あさのこども劇場」というアニメ再放送が終わった10時半頃の気分とでも言えば良いかな。

なぜかノスタルジックで、初めて来たのになんだかもう思い出に溢れているような。

そんなおおらかさの中に凛とした表情を与えている真ん中のホールとの間仕切りを支えている柱に感動。


細い。

このおおらかで高い天井に負けていない。凛とさせる静寂さがある。
おまけに天井の照明の釣っている材もそれに同調していて、下は騒がしい建築学科の日常的な生活スペース/上は張りつめた静かな空間と分けている感じ。

大きなキッチンテーブルから座って見ていると、そのどちらもが良く感じるので僕のお気に入りの席です。

『ヨコハマアパートメント』設計 西田司
ここに来たのは二回目。

今回は住んでいる友達の家にお邪魔して一泊させてもらった。
そこに住んでいるルイージのような仙人が

「アパの朝ほどさわやかなモノはない」

と豪語するので「そんな分けない」というお決まりのパターンを口走ったところで朝になるともうさわやかのなんのって!
これはすごい。
思わず二度寝。
起きてご飯は共有の下の空間で食べる。
ものすごく心地がいい。

ラフなんだよ。

すごく懐かしく感じる。
ラフさって言うのは仕上げとか、カーテンのレールケースだとか、住戸の玄関の入り方とか。
突貫工事なのかと思えるくらい、今まで見てきた建築とは違う精度のユルさがある。

でもそれもまた凛とさせる部分を持っている。
あの各住戸につながる開口に降り注ぐ光。
これがまたなんとも言えない「空間の引き締め薬」になっている。

なんか書きたいことは山ほどあれど僕の文才のなさにより断念せざるを得ない感じ。

また泊まらしてくれ、けんさん!





今回のひろ散歩で得た感覚は

「高さ」
「マイノリティなイメージ」

をどうやってうまく扱うかである。特に後者はものをつくる上で一番の面白い部分だと僕個人としては思っている。

あとこの文才の中はなんともしがたいこともだんだんわかってくるね(笑)

まぁなるようになるさ。
次はあなたの街に伺うかもしれません。
ではさよなら。

ちゃんちゃん
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# by hama_boy | 2010-05-30 23:36  

あまりにもうれしいこんばんわ

なんとあの広岡周平が

60kg代へ突入!

今後来るハゲキャラのためどちらか一本でないと笑いの鋭さが無くなると考え、デブキャラを捨てようと誓った、あの日から一ヶ月。

漸く3回生の前半ぐらい(21歳)の体重に戻った。

ただこれはダイエットではない。
茶碗の大きさが以前はどんぶりだったので1合ぐらい食べていたのを、

「普通の茶碗で十分満足じゃね?」

と思っていたのがことの始まりだ。だから本来の体重に戻っているだけ。


はーっはっはっ!
あと半年!

あと半年でもうデブとは言わせない。
動けるだけのおもんないデブから

動けるだけのおもんないやつへと『ときめきてゅないと√!』

ちゃんちゃん
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# by hama_boy | 2010-05-27 08:52  

現在の建築界に絶大な影響を与えた人の話を聞いたこんばんわ

原広司特別講義『CUBE&HOLES』in 大阪芸術大学 2010

※僕は大阪芸術大学の関係者ではないです。

最近はうねうねとした曲線の建築やそのプロジェクトが様々なメディアを通して国内外問わず発信されている。その出来事を原広司は新しい幾何学に漸く現代の建築家たちが目を向けだしたんだという。原さんが話された幾何学との向き合い方は近代までに作り出されてきた僕たちの持っていた建築観を大きく揺らがし、一変させた。
今日の講演は昨年の暮れに出版した『YET』の概念の中から「CUBE&HOLES」を取り出し、講演を行った。その中で分けると3つの軸がある。

・一秒ごとに秋の風景が変わっていくように建築もかわっていくこと
・現代「幾何学」に対して注意を払うこと
・「孔」というテーマにおいて原広司の作品を振り返ってみること

である。

『機能から様相へ』という本のタイトルは建築を勉強している方なら一度は聞いたことがあるであろう。この様相という言葉を簡単に言うと、世界はほんのわずかの短い時間に刻々と変わっていっている。例えば秋の風景が一秒ごとに変わっていっているように。建築も様相として捉えてつくっていきたい、と原さんは語るのである。

次に、「芸術と建築は”ロジカルかつマジカル”でないといけない」というようなダジャレとも言えないついつい口にしたくなる韻を踏んだ言葉を彼は言う。
感覚的につくると「マジカルかつマジカル」となってしまうし、論理的につくってしまうと「ロジカルかつロジカル」となってしまう。そのどちらも本物ではない。

「ロジカルかつマジカル」につくるためには現代幾何学を理解する必要があるらしい。現代幾何学とは紀元前のエウクレイデスのユークリッド幾何学以後のポワンカレやライプニッツなどの幾何学を言うそうだ。(後に非線形科学の話をされており、芸大生相手ということも会ってかなるべく数学の話をしていなかったので混同して僕は捉えてしまった。)

この「現代幾何学を理解すること」は聞いているだけでも頭が痛い。しかし続けて彼は「完全に」ではなく「直感的に」理解すればよいと付け加える。そんな例として、現代の日本を代表する建築家の伊東豊雄や妹島和世などが挙っている。されにこの感覚がなければ国際コンペにも勝てないと断言していた。


最後に、今までの自分の作品を見ながら「孔=トーラス」について語っていく。
このトーラスというのは一つの球体Sに孔が一つだけあいたドーナッツのようなものをいう。そこに孔が増えていくとΣ2、Σ3…と数が増えていくた交代となっていく。トーラスというのは表面上は境界が無い。だから一枚の板にたくさんの孔があいているのはトーラスとは言わないらしい。

このように過去の原さんの建築作品を見ていくと
「extra-terrestrical architecture」
「梅田スカイビル」
「原邸」
「京都駅」
「宮城県立図書館」
などは一見、小さな孔が無数には開いているけれども、大きな孔が一つとして見なせるトーラスなものとして説明していた。
「一見トーラスに見えないのも新しい幾何学かもね」っと軽く話していたことも気になったけれど、上記の建築ではトーラスにその建築の中で最も出来事が変容する場として扱われている。
例えば宮城県立図書館や京都駅。
なにかイベントがあるとまるで雲のように人がバァーと広がり、その場所の普段持っている穏やかな人がぽつぽつと点在する風景とは別のモード(様相)になっている。トーラスこそが建築の空間構造に影響を与えて、様相を変容させる力があるというのだ。


僕は京都駅を幾度か訪れたことがある。それも建築の勉強を始める前、高校生だった頃だ。この駅ビルの大きな階段で友人6人と座りながらだらだらと時間を過ごしていた。その視線の先を行き交う群衆をみてこの人たちはなにか大きな力によって動かされているんじゃないかとふと感じた。ただの頭の悪い猿のような高校生でさえ、この建築が持っている怪しい妖気を感じ取らざるを得なかったのだ。色に夢中な男子高校生の友人の一人が女性に声を掛けはじめた。しかし残る五人は一向に動こうとしない。女性に相手にされず帰ってきた友人も座り込み、一緒にただ呆然と時間が過ぎるのを眺めていたのである。ふとそんなことを思い出した。


この講演会で気になったのは「数理的(mathematical)」と「論理的(logical)」の違いについてである。この二つは僕は一緒にしてはいけないものだと思う。なぜ数学的な抽象モデルを扱うことによってロジカルなものができるのだろうかが非常に不思議に思っているのは僕だけなのかな。

「2+2=2×2」

という数式にはなにか独特の美しさがあると数学者が言う。その感じを直感的にだけれど非常に僕も美しいと感じている。しかし、前にこのことについてとある建築家になんでそう思うのと言われたときに答えれずに「論理的整合性」によってそう感じるのかと訪ねられ思わず「そうです。」と言ってしまった。ただ、まだ反論はできないけれども僕はこの式に「数理的整合性」によって美しさを見いだしているのだと思う。

例えば一番最初にだしたようなうねうねした建築計画は数理的な整合性を持っていはいるだろうけれども論理的かどうかは怪しい。辞書で調べると


ろん‐り【論理】
1 考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「―に飛躍がある」

2 事物の間にある法則的な連関。

3 「論理学」の略。


[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

であるが、現実の与条件無くして成立するうねうねは存在しないし、もしうねうねに与条件を反映できたとして、そこにあるのは論理的整合性なのだろうか。聞いてみたかったのだけれども僕は芸大生じゃないので質問することができなかった。数理的と論理的が自分の思い違いでほとんど同義語であってもそれあそれで発見なのであるので誰かしら教えてください。

ちゃんちゃん
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# by hama_boy | 2010-05-19 00:17  

ひろ散歩 in 南河内こんばんわ

久々のひろ散歩です。

最近、関西付近の建築を週に一度は見るようにしている。


先週は神戸で、フランクロイドライトの『ヨドコウ迎賓館』とフランクOゲーリィの『FISH』を見た。それは本当にすばらしかった。特にヨドコウ迎賓館は。


ただまだうまく言語化ができていないのでもう少し煮詰めるとして、今日見てきたのは


出江寛『PONTE FICO』1996 大阪府羽曳野市古市


高橋 靗一『大阪芸術大学』1964-1986 大阪府南河内郡


安藤忠雄『近つ飛鳥博物館』1994 大阪府南河内郡


『富田林寺内町』


に行ってきた。見てきた感想を挙げていくと


『PONTE FICO』
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この建築の最大の良さは駐車場の配置である。
羽曳野市役所の方から入っていくと駐車場の後ろにセットバックしたでこぼこした建築が見える。このボイドがあるおかげでうまく建築の構成と一番見せたいであろう凹凸のある面が連続して奥行きをつくりだしているところが一瞬で理解される。
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入っていくと路地的な中庭や各住戸へアクセスする広い階段室と出会う。
ドコモが緑に隠れていて建築の接地面が見えず土地に生えているようだ。
裏に回るとさらに駐車場がある。これは正面にあった駐車場よりも広く、ここに各住戸のほとんどの車がおさめられそうだ。
やはり意図的に駐車場を建築との距離を置くボイドとして置いたのだなと確信した。

ただ僕はこの建築に込められた思想が見えなかった。
この中庭も階段室も「うまく」住民間の距離をとる調整弁に過ぎない。
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実際には各住戸にも中庭があり住戸面積もほぼ等しい。外に対しては結構閉じている。開けっぴろげろとも言わないけれどもこんな郊外に密度が中規模のものを立てるならばもっと開いた方がのびのびするんじゃないかな。

あとポストモダン的な意匠が気になる。うまく噛み砕けない建築である。


『大阪芸術大学』
これは1964年に設計競技で高橋てい一が勝ってから1986年まで行ったキャンパス計画。一人の建築家が大学のすべてを設計しているのは日本においては珍しいのでは?

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場所は大阪府南河内郡河南町東山469である。
みなさん当然聞いたことのある方は少ないだろう。
ここは山の中なのである。最寄りの駅すら田舎であり、さらにそこからバスで10分ぐらいというかなり不便な場所なのである。その分自然は豊かなのだが。

ふらふらと歩いていて気づいたのはキャンパスが地形によってゾーニングされていること。
ここで主軸になっているのは尾根道なのである。建築は本来の地形の高低差を利用し、さらに建築を立てることでレベルを増やしそれぞれのクラスターをつくっている。

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そのときのレベル差の違いを幾十にも重なる水平線でつないでいるのが面白い。
(藤本壮介のNハウスのような感覚なのかな)

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教室棟はコンクリートが自然の中の岩肌がごとく荒々しく仕上げられており、凸凹した各棟の形態はまるで集落ようである。カーンのポストモダンとは違った集落的な形態性ととライトの水平線の連続がうまく混ざり合い、古代の廃墟のような建築になっている。
ガラスがはめられていない窓枠がほとんどでそれも廃墟性の一因となっているのであろう。

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入ってすぐにある博物館・図書館の複合施設はなかに不整形のホールが存在している。
先ほどの地形のゾーニングを建築のホールに引き込んでいてトップライトの切れ込みはまるで深い谷にいるかような錯覚を思い起こさせる。

所見ではこの建築群は「環境の歴史性」を建築に引きこもうとしているのではないか?

周辺には古墳群があり、郊外ではあるんだけれどそんなに開発はされておらず、その貼付けられたペラペラの郊外という歴史よりも、もっと深い歴史を感じさせるそんな独特の場所である。
この周辺の環境が持っている古代に時が止まったかのような雰囲気を「環境の歴史性」と呼んでみたい。

だからこそ各建築が岩肌のような意匠や谷間を思わせる内部空間を持っているのであろう。
しかしそれは「環境の歴史性」を意匠として纏っているに過ぎない。
こんなにも重い建築に囲まれているのに不思議とペラペラな感じがしていた。

まるで現実から離れた芸術家の卵のユートピアに来ているようだった。


『近つ飛鳥博物館』
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安藤さんのコンクリートの美しさに圧倒された。

安藤さんのコンクリートにはコンクリートのほんのわずかな距離、寸法でいうと0.001mmぐらい上の所から空間がある。その空間がものすごく透明で光沢があり、安藤建築の抽象性を作り出しているのである。
今までも安藤さんの建築はいくらか見てきた。直島で、京都で、大阪で。
でも気づかなかった。
なんでこんな当たり前のことに今までは気づかなかったか本当に不思議だ。

この手前に見た大阪芸術大学もコンクリートを多用していた。
でももう種類が違う。
安藤さんのコンクリートはコンクリートであることをコンクリートがやめてしまっている。これは確かに斬新だし、今までの世界的な活躍が十分に納得できる。

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構成も面白かった。先ほどの大阪芸大をさらに山に入っていき本当にこんなところに博物館なんかあるのか疑わしくなってきたところにふと大きな直方体の遺跡が飛び込んでくる。近づくと見たことの無いくらい大きな階段に数個の直方体が建っている。
その階段は実は博物館の大屋根で中に入るとその斜めのラインをうまく利用して空間に抑揚をつけているのだ。

コンセプトは「現代の古墳」らしい。文字だけ見ると一見笑えるけど見てみると納得させられてしまう。古墳的モニュメンタリティを持ちつつ、それがうまく抽象化され建築言語に置き換えられている。だから建ってから16年経った今でも新しさを保持し続けている。コンクリートのほんの少し上にある空間はこのままもっと長くあの新しさは続せるのだろう。

『富田林寺内町』
この街に入るとふと背筋が伸びる。
なんでだろうと考えているうちに前から来る人を見て気がついた。

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軒が今まで見たことがある歴史的な街並を持つ街(京都、奈良、鎌倉、金沢など)と比べると500〜1000mmぐらい高いのである。

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あるところでは軒が高すぎて日よけの役割を果たしておらず、日よけとしての軒を増設しているところまであった。
それが凛とした表情を見せていてなぜだか背筋が伸びるようなのである。

ここはもともと川が近く、肥沃な土地で農業が盛んであって、その昔は大きな街だったそうな。寺内町というのは

寺内町(じないちょう、じないまち)とは、室町時代に浄土真宗などの仏教寺院、道場(御坊)を中心に形成された自治集落のこと。濠や土塁で囲まれるなど防御的性格を持ち、信者、商工業者などが集住した。

wikipediaより

だから「お膝元で暮らしている」という意識が薄くその分堂々と下街並になっていたのではないだろうか。
だから有力者の家々は軒が高いんだけれど中心である寺から離れるほど低い軒が目立つようになってくるのである。

あとこんなに大きな家にまだ人が住んでいることがびっくりした。
管理・維持するのは非常に難しいだろう。
多分この地域も推測だけれど高齢者が多い気がする。
観光地化もしていないこの場所をこれからどうやって守っていくのだろうか?
交通の便も不便だ。

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堂々とした軒先を見ながら、足下を見ると石畳が一部剥がされ、アスファルトが敷かれている。多分水洗管を通すための工事があって予算が無くアスファルトが用いられているのであろう。

資本主義、経済主義の中で辺境にある集落がどんどんとその魅力を失っていくという感覚を初めて実感した気がする。

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今回派大きな建築のコンセプトを体で実感したことが大きな収穫である。
横国的な思考をするときでも僕はものすごく小さなことしか捉えていなかった。

その建築、都市の何がドミナントな存在なのかをまず言う必要がある。
大阪芸大の地形のゾーニングは見事にミクロとマクロをつないでいた。
マクロを作り出すとき、あるいはミクロをマクロに接続させるときの思考方法をもっと多様に体感したいな。

ちゃんちゃん
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# by hama_boy | 2010-05-09 14:37